カテゴリー:クマ笹とは
(無孔)品の例 (出典:Weblio 辞書 ホウライコマチ)
小町竹を命名したのは竹研究の第一人者であった故室井綽(ひろし)先生です。
室井先生は小町竹を横に切った時、他の竹と違い空洞がなく身が詰まっている((無孔)品)のを見て穢れ無き乙女の姿と重ねたそうです。
後に室井先生は現代の風潮の中で、この穢れ無き乙女の名が興味本位に受け止められ
コマチダケに申し訳なく思っていると語っていました。
「だけど、時代はどう変わろうとも
日本女性の奥床しさへの憧憬をこめてコマチダケの名を永遠に竹の世界に残していきたい!」
とお考えになり、今日にいたります。
小町竹には(故室井先生の)男のロマンがギュッとつまっているのです…
小町竹は永遠の淑女なのです。
女性には小町竹のように奥ゆかしくあって欲しい…
先生の願う声が小町竹にはこめられています。
ですが…
室井先生がご生存だったら、
現代の肉食系女子にはたして同じようにロマンを語れたでしょうか…
震え上がってカタカタダケ、なんて名前になっていたかもしれません。
日本で、はじめて発見命名されたのは1960年、 島根県で発見されました。
その後、日本の東限は姫路市 網干(あらぼし)、四国、 九州では広く生育していることが分かりました。
海外では、中国の南京大学の竹林園にも多くの株があり(1985年)、
ハワイ島のクラ植物園の玄関入り口の生垣にも何百~何千の株が植え込まれています。
オーストリアでも植えており、探すと広く植わっています。
小野小町は、『六歌仙』の1 人でさまざまの伝説に満ちる平安初期の美女です。
1千余年を経た今でも、美人な女性のことを小町娘と呼ぶなど、その名は広く知られています。
小町に惚れた深草小将が、百夜通ったら結婚すると言われ、九十九夜でダウンした話は有名です。
小町は出羽守・小野良真の二女として、山城国字治郡小野町で生まれたと言われています(諸説あります)。
容姿端麗、頭脳明晰、非の打ち所がない女性で妥女として朝廷に仕えたといいます。
ひとつは、小野小町が穴(欠点)のない才色兼備であったこと、
もうひとつは、非常にモテていたにも関わらず、いっこうに男性になびかなかったため、
女性としての体に欠陥があるのではないかと噂され「穴がない女性」と言われるようになってしまったとか。
これを面白がって穴のないものに、~小町、とつけることが流行ったのでしょうか、
お裁縫で使うまち針は、小町針ともいい、小野小町に由縁があると言われています。
小町は恋歌にも秀でていました。
夏に迫った歌を好み、 歌人としても知られます。
「花の色はうつりにけりないたづらに、我が身世にふるながめせしまに」
以上の一首を詠んでのち、妥女の職を辞して、その後、猟師の後妻となって一子をもうけたと伝えられています。
子供をもうけていることから、「穴なし」の真相は、
人として欠点がなく、心も美しい容姿端麗な非の打ちどころのない人という意味であって欲しいと思いたいですね。